寺建立の歴史

輝かしい寺の歴史

媚洲天上聖母が本宮にお越しになって以来、ますます霊験はあらたかになり、お香の火は絶えることがなかった。地方の役人や有力者は。手狭になり、また長年修理をしていないお堂を、よりすばらしいものに改装すべく、清朝同治十二年(西曆1873年)、台湾一の大富豪.林家の林國芳は、陳元瑞、林瀾波、楊早明などの先賢及び擺接城下町内の多くの民眾などを召集し、お堂の改修を決議し、その年の三月に着工、一年後に完成した。より美しく改装され、本宮の構造の基礎を定めた。  

清朝光緒十七年(西曆1981年)本宮の主管.林新博は、恢宏殿の軒を広げ、大殿の屋上を一尺五に高くすることにした。この工事の費用は、擺接城内の漳州人進んで寄付をし、五か月の工期で完成し、本宮は更に高くそびえる廟になった。  

 

清朝光緒二十一年(西曆1895年)十二月、前殿が落雷を受け、殿が剝がれ落ちた為、管理

人の林清山は、再び修繕の寄付けを募った。今回の工事は六か月かかり、翌年の五月に修繕は完成した。十一月には盛大な落慶法要大祭が行われ、この時より廟の趣きは一新さ

れ、お香の灯火は永遠に途絶えることなく、四方からの信者は跡を絶たない。

本宮創設の縁から、廟創設以来、高僧を招き本宮を管理している。今までには、淡属僧会

比丘の開山主持師父.法紀綱和尚、その後続いて日本.曹洞宗順の沙彌慶春号恩公和尚、

敬琅公沙彌子永成珍公、金山禪師等様様な高僧を招いた。台湾光復後は台北市木柵から俗

名劉維昌.真明師父を管理者を迎えた。また、永遠に追悼するため、本宮では長年本宮の

管理をしてくださった高僧の位牌を功徳堂にお祭りし供養している。

 

緻密で美しい横柱の絵。