寺建立の歴史

擺接の狀況

「擺接」の呼称は、もともとこの地に住んでいた平埔族(台湾先住民族)の呼称であり、中国福建省漳州人の林成祖と廖富椿などが清朝雍正十二年(西曆1734年)に渡来し、清朝乾隆十五年(西曆1750年)政府からの入墾後も、擺接を音訳した呼称使っていた。  

『淡水廳誌』によると、淡水廳城(竹塹城)の城下町の北東部に擺接十七村の記載がある。